母になるということ

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自己紹介で書いたように、私は毒親育ちです。

 

先に前置きをすると、

母が私を産んだのは、母が18歳のときで若かった。

若すぎたこと。

母からの愛情は感じていたし、

母の置かれた環境を思えば、私を捨てないでいてくれただけでも

感謝しなきゃならないのかもしれない…なんて思うこともできます。

もちろんここまで思えるようになるには長い時間がかかったし、苦しみがありました。

 

物心ついた頃にはいつも一人で、今思うと寂しかったのだということがわかります。

当時はそれが当たり前なのだから、わからなかったけど。

母はバツ3で、3回目の離婚は現在とパートナーとなので(その後、すぐにまた再婚)

実質、父は3人いる感じ。

 

私の実の父との間には、私の一つ下に弟がいました。

私自身も年子の姉弟でした。

そのことをはっきりと知ったのは小学校に上がるころで、

弟は3歳の誕生日前に事故で亡くなったそうです。

実の父は働かない人で、父の母(私からすると祖母)が母に、

「ここにいたらダメ。逃げなさい。」

と、後押しをしてくれたと聞いています。

実の父の元から逃げた日の夜のことは記憶に残っています。

 

母は、働かない父に代わって夜働きに出ていたので

そこの店員だった2番目の父になる人のところへ

転がり込んだ形で、私が5歳になるころには2番目の父と再婚しました。

そして4学年違いの弟が生まれました。

 

今振り返ると、2番目の父との家族生活が

一番家族っぽくて楽しかったかもしれません。

憧れのディズニーやスキーには連れていってもらったことはないけど

可愛がってもらった記憶もないけど

公園や海に連れていってくれたし

感情の塊のような母から

一日食事抜きの刑に処された時には

深夜にラーメンを食べさせてくれたことがありました。

 

ほんとに酷い母親だったなあ(笑)

今現在の母は、孫に甘々のおばあちゃんをしているので

こうして振り返ったときに笑えてくるくらいまで

私は母を許しているし、

もう幼少期のトラウマの手放しは完了してるんだと再確認できる。

 

怒鳴る、叩く、立たせる。

人格の否定なんて日常のこと。

「私が悪い子だからダメなんだ」

「気を付けていい子でいないと可愛がられないんだ」

そう思っていました。

2番目の父との再婚後も、母が夜働きに行く生活は変わらなかったのと

父はなぜかいつも家にはいなかったので

幼稚園の年長になるころには、私が4つ下の弟の面倒をみて

夜はいつも2人でお留守番をしていました。

寂しかったけど

一緒にいても遊んでもらえるわけじゃないし

怒られないからこのほうがいいと思ってたりもした。

でもほんとは毎日一緒にお風呂に入って一緒に寝て…

そんな普通のお母さんが優しいお母さんがほしかった

優しいお母さんになってほしかった

そう願っていました。

 

この幼少期に育まれてしまった

誤った人格の形成は

その後の私の人生で、生きづらさを抱えることになりました。

そのことにちゃんと気が付いたのは、私は母親になってからのことで

このままでは、このままの私では、この子たちを不幸にしてしまう。

幸せにできない。

それが私が変わるきっかけになりました。

 

それには、過去の私自身を私が愛する必要がありました。

これがいわゆるインナーチャイルドの癒し。

いやいや、自分で自分を愛す?

あんな思い出したくもない過去を思い出す?

向き合う?

苦しい苦しい苦しい。無理。

ここから私の人生がようやく動き始めました。

 

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